2013年3月5日
応えるための答える技術を鍛えてる。
最近はネットに能動的に参加することが少々面倒くさいというか自己嫌悪感があって、いわゆるSNSには近づかないようにしている。なんというか、誰かが反応してくれることを期待している自分が浅ましく思えてしまうのが嫌なのだ。自分でも自分はなんと面倒くさい奴だ、、、と思う。
さて、本題。
最近、自分に課している課題が「相手が言いたい・聴きたいと思っている事にきっちりと答えを返す」こと。言いたいことを遠回しに言っていたり、言いたいことをきちんと表現できない人の言う事を聴いて、「まさしくそれが聞きたかったんだ!」と思わせられる答えを返すこと。
話を聞きながら、その話題が出てくる背景を考え、話の辻褄や話題の出てくる順番などを確認しつつ、言い足りてない部分を補足させるアプローチ(質問するか、喩え話をするか etc.)を考えながら、その人にとって理解しやすい言葉や表現を選んで説明の仕方を組み立てるという作業を行う。答えがドンピシャに嵌った時の相手の嬉しそうな顔を見られるのは最高に気分がいいものだ。
そういう作業を行なっているといろいろ面白いことが見えてくる。
例えば、殆どの人は相手の話を最後まで聞き切らない、言い終わるの待つことができない。話しが終わったかどうか分からないのに、自分がこうだと思う答えを言ってしまう。あたかも早押しクイズのように早く答えることが良い事だと思っているかのように振る舞う人が本当に、本当に多い。そういう人に限って得意満面な顔で答えるのだ。いわゆるドヤ顔で。当然、相手が満足する答えは返せていないように見受けられる。相手の話を遮ってまで憶測で間違った答えを言っているのを聞くとこっちが恥ずかしくなる。
相手の話が終わってから一呼吸置いて話し始めるような人はごく僅かだ。
あと女性に多いのが「自分の経験(身内に聞いた話)を一般論として答える」というタイプ。相手は「じゃぁそうしようかな」とは思うだろうけど「それが正解なんだ」とは思ってないだろう。たまたまうまく行ったような根拠のない話を聞いて相手が安心すると思っているのだろうか、、、。男でこういう話し方をする奴は一緒に仕事をすると面倒だ。言わずもがな、、、。
こういう課題を作るのが結構好きで最初に設定したのは「分かってもらいやすいように表現を工夫する」というものだった。見やすい資料づくりや理解しやすい話し方に注意していたのだが、日常的に展開しようとした結果が今の「良い答えを返す」という課題。人の話を聞くのは面白いものだし、会話を楽しめるというのは素晴らしいことだとつくづく思うようになった。一つ一つの言葉を大切にしたい、最近はそんな気持ちだ。
多分、次に自分に課す課題は読みやすい文章を書くことだろう。きちんと話の流れが作れるように、脈絡のない文章が突然出てこないような骨格のある文章を書けるようになりたい。
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